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バス停の跡

ナッシー号のバス停の台座の跡
ナッシー号のバス停の台座の跡

 

 今日は用事があって久しぶりに新鎌ヶ谷駅のロータリーに立ち寄ってみた。8月1日からのルート改正で新鎌ヶ谷駅へのナッシー号の乗り入れが廃止された。バス停のポールがあった場所にはコンクリートのバス停の台座の跡が歩道に丸く残っていた。

 

 今日は熱中症の厳重警戒予報が出ており、屋根のないバス停前には容赦なく太陽が照り付けていた。午前10時前で後ろの駅舎の庇の下にはまだ日除けのための日陰ができていなかった。

 

 鎌ヶ谷市と白井市のコミュニティバスの共用バス停が屋根のない場所に移設(バス停のポールを屋根のあるバス停から少し前方に移動しただけ)されてから2年半が経過している。その当時、鎌ヶ谷市は利用者の熱中症のリスクを認めて屋根の設置を検討していると弁明していたが、いまだに屋根は設置されていない。

 

 この青空バス停は位置変更の届出も出されていない違法バス停だった。関東運輸局に是正指導を求めてから事後に届出が出されたいわくつきのバス停だ。さらにバス停の移動後にコミュニティバスと前方のバス停が道路交通法44条違反状態に陥っている。関東運輸局に文書で改善指導を求め、写しを国土交通省、鎌ヶ谷市長、鎌ヶ谷警察署長に送付した。あれから2年以上経ったが、何も改善されていない。役所のいい加減さがよく分かる。

 

 🔗西白井線停留所が道路交通法第44条違反の訳(1)

 

 🔗西白井線停留所が道路交通法第44条違反の訳(2)

 

 

 そのときの市長だった人が次期衆議院選に北総線の高額運賃問題を争点にして維新から立候補するというから驚きに耐えない。上記問題も結局、遠因は北総線であり、京成への行政の忖度問題に起因している。前鎌ヶ谷市長が北総線の沿線住民のために戦うことなどあり得ないのではないだろうか。

 

 ナッシー号のバス停のポールが撤去されたききょう号の単独バス停の前に立っていたときにちばレインボーバスの北総循環線が目の前を通り過ぎた。バス停に頭を寄せて停車し、前から乗客を降ろしていた。全部で5人が降り、4人が駅の改札の方へと向かって行った。

 

 乗客を降ろした後にバスはバス停の停車位置を修正していた。しばらくして降りてきたバスの運転手はいつものように公園のトイレの方へ歩いて行った。

 

 ロータリーには相変わらず、2台までのタクシー乗り場に3台が待機していた。本件についても市役所と警察に改善指導の文書を過去に送っている。こんな人たちが市民に法令の遵守を求めているのだから、日本の行政には公正という理念が失われてしまっているようだ。

 

 ロータリーに駐車している一般車両の駐車違反は駐車監視員を使って取り締まっているのにタクシーや配送トラックの違法駐車は見て見ぬ振りをしている。最近の警官は昔のおまわりさんのような親しみのある正義の味方ではなくなっている。忖度まみれのただのサラリーマンにすぎない。

 

 帰りにアクロスモールの先で駅に向かう北総循環線のバスとすれ違った。やはり乗客は5~6人だった。ナッシー号の新鎌ヶ谷駅への直通便が廃止されても代替需要でちばレインボーバスの乗客が大きく増えることはなさそうだ。

 

 ナッシー号の乗降客数ナンバー2だった新鎌ヶ谷駅のバス停が8月から廃止され、利用者が減って運賃収入が減っても運行業務を委託されているちばレインボーバスは痛手にならない。それどころか50%の増便で市からの運行委託費が大きく増える(極端に増えない?)のだからナッシー号のルート改正はちばレインボーバスの望みだったのだろう。

 

 ナッシー号との重複ルートを問題視しながら北総循環線の利用者増は最初から期待していなかったのだろう。北総線の利用者に影響を与えないことが彼らの京成グループ内での使命なのだろうか。新鎌ヶ谷駅のバス停の廃止による影響で利用者が減ることはあっても増便しても利用者が増えることはないことを市自身が認めている。市民からの批判を市は気にしていないようだ。国民の批判を気にしていない政府と同じ思考回路だ。選挙で勝ったら何をしてもかまわないという万能感が漂う。

 

 市民からすれば税金を溝に捨てるようなものだ。大半の市民が利用しないものに多額の税金を投入する様はオリンピック委員会に似ている。役人にとって税金は所詮、他人の金なのだろう。給料がどこから出ているか忘れている。