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ナッシー号、一人行く

   昨日の14時18分頃、国道464号線を横切り、大松方面に向かうコミュニティバスのナッシー号とすれ違った。予想通り、車内に乗客の姿はなく、孤独なドライバー一人だった。目撃したバスは、西白井駅14時10分発の西ルートの復路?の白井市役所行きのバスのようだった。

運行予定時刻を過ぎているようで思いのほかスピードが出ていた。窓越しに見える運転席のドライバーの顔が遅れを取り戻そうとでもしているのか、必死の形相に見えた。誰も乗らないかもしれないバスを運転するドライバーの気持ちはウクライナの戦場に駆り出された若者に通じるものがあるかもしれない。

土曜日ということを考慮してもマイカーなら10分の白井市役所まで”わざわざ”遠回りして37分かけて辿り着くバスに誰が乗るのかと思っていたが、結果は惨憺たる状況のようだ。コミュニティバスに電車のような速達性と定時制を求める人は多くないはずだ。時間厳守よりも安全第一で穏やかな気持ちで運行すればいい。

去年の7月までは西ルートは新鎌ヶ谷駅と西白井駅を結ぶ最も利用者の多いルートだった。このルートのバスには、いつも多くの人たちが乗っていた。しかし、市は新鎌ヶ谷駅のルートを廃止する”メリット”を次のように説明していた。

「市内から新鎌ヶ谷方面までのバスの所要時間は往復で約30分です。現在1日に14便運行しているので廃止により、1日約420分の運行時間が確保でき、その分ナッシー号全体の便数を増やすことができます。」

廃止をメリットと説明する市のセンスに呆れるばかりだ。最初から増便ありきのルート改正だったのだろう。後付けの理由が空々しく、幼稚で如何にも今風だ。どうして新鎌ヶ谷駅ルートの増便の声がナッシー号全体の増便という方向に向かうのだろうか。

さらに「始点と終点が同じ『循環型』から、始点と終点が異なる『ピストン型』で運行するとこで、速達性を向上させます。」とも説明していた。

今後、何をもって速達性が向上したということを説明するのだろうか。利用者が減少していたコミュニティバスを増便した理由を市民に対して納得できるように説明することは困難だろう。

客観的に見て路線バス事業者の救済と特定のルートを政治的に増やしたかったからとしか思えない。直接、赤字の路線バスに補助金を出す代わりに運行事業者が採算のリスクを負わないコミュニティバス(路線バスと同じ事業者が運行)の増便で事業者を支援することが目的だったのだろうとしか考えられない。

そうでなければ、従来の1.5倍の増便の説明がつかない。増便しても利用者が減り、収支率が19.04%→16%に下がるなどという説明はあり得ない。しかも、検討基準が「現行の運行経費水準を極端に増大することなく」というのだから呆れるしかない。極端か極端でないかをどのように決めるのだろうか。そして、もっと驚きなのは、こんなおかしな基準について市民に説明した議員が一人もいないことだ。

おそらく、実際の利用者数も収支率も市が説明した水準を下回っていることが予想される。9便から20便に倍増された北ルートも利用者は増えていないのではないだろうか。コロナ禍が収まらない状況でバスの便数が増えたことでマイカーからバスに切り替える住民は、ほとんどいないのではないだろうか。

西ルート地区ですらコミュニティバスを利用していたのは高齢者を中心にした一部の人々だけだったから鉄道の通っていないマイカーが日常の足の地域の人々がバスに切り替えるためには相当のインセンティブが必要だろう。わずかばかりコミュニティバスの便数が増えても何も変わらないだろう。

ナッシー号が目の前を通り過ぎて行ったときに中村雅俊の「ふれあい」という曲の歌詞の中の「むなしさに…」というフレーズが何の脈絡もなく頭に浮かんだ。最近の世の中は理解できないことばかりだ。世の中、保身と利益誘導に満ち溢れている。

老若男女、変化を嫌い、事なかれ主義の国民はいつまで経っても問題の先送りと根拠のない楽観主義の呪縛から解き放される日は来ないのかもしれない。それが選挙しか頭にない政治家の行動を支えているのだろう。

ところで、北総鉄道が「西白井駅・白井駅副駅名制定記念乗車券」を3月25日から2枚セットで販売している。副駅名制定記念?という表現になっている。地元商店街に協力してもらって副駅名制定記念セールスでも行ったら副駅名が世間に浸透するかもしれない。やっぱり、副駅名の必要性がわからない。市と事業者のセンスは相当ずれている。どこかアベノマスクに似ている。