一人のよそもの建築家がシャッター商店街を甦らせた~名古屋の円頓寺商店街と言っても、名古屋以外の人にはわからないだろう。名古屋駅と名古屋城の中間に位置する古い小さな商店街だ。かつては名古屋の三大商店街だったがご多分にもれず近年、シャッター通りと化していた。それがこの10年で、にぎわいを取り戻したという。…現在、名古屋の商業の中心は、名古屋駅前(「名駅」と呼ばれるが、正式な地名でもある)と中心部の栄に二極化している。かつての三大商店街の一つだった大須は、栄に隣接しており、東京の秋葉原と浅草を合わせたようなカオスな雰囲気で若者を引き付け、復活した。…もう一つ、市街地の東北部に位置する大曽根は、アーケードを取り払い、現代アート風のオブジェを設置し、三角屋根に統一したモダンな店舗に模様替えしたが、この再開発が裏目に出た。著者は「コンセプト先行の街づくり」で、「長く商売をしている店舗にかかる負担が大きくのしかかる計画だった」ため、廃業した店も少なくなく、「空き地が点々としているという風景になってしまった」と書いている。…さて円頓寺だが、たった一人の建築家の存在が奇跡を生んだという。…円頓寺に惹かれ、足しげく通ううちに勝手に一人応援団として動き出した。空き家・空き店舗を再生するプロジェクトを立ち上げ、まず自らの店を始めた。…空き家バンクがスタートし、今年(18年)でちょうど10年。この間、プロジェクトによって生まれた店は26軒、そのうち24軒が続いている。同じ業態の店はないという。失敗したとされる大曽根商店街の再開発には行政が深く関与していた。デザインとしてはモダンアートが導入された。対する円頓寺は市原さんという建築家が地元の協力も借りながら、ほぼ一人で進めた。
( 2018/9/ 4 J-CAST BOOKウォッチ抜粋)
民間主体のまちづくりが起こした奇跡。仕掛け人が語る、成功の秘密(前編)~私も、失敗と言われている駅前の再開発に関わった人間の1人として、行政に任せっぱなしではろくな街ができない、気がついた人間が動き出さないと街が良くならない、と思っていました。…なにより、道の駅って基本的には車の便宜を図るためのものなので、根本は街の活性化のための仕組みではないんですね。通過型だと街全体に利益をもたらすことにはならない。でも、なんとかそこに人を集めることができれば、商店街と連動することによって、新しい人の流れを作れるんじゃないかと考えました。…実際、美味しいものがたくさんあるんですね。それに観光客に人気の飲食店も多い。そういう食べ物やお店を一箇所に集めて、富良野の食の豊かさを発信すれば、今まで素通りしていた方の半分ぐらいは、立ち寄ってくれるかなと思っていた。そして案の定そうなりました。…それまでもみんな、そういうのがあればいいなぁという議論はしていたんです。でも場所がなかったというのもあるし、言うだけで実際やる人がいなかった。でもせっかく自分たちが思いついたんだから、自分たちでやろうということになったんです。といっても自分たちだけでは資金はないですから、まちづくりを“オール富良野”でやるために、いろんな人に協力してもらうことにしました。…帰ってきてびっくりしたんですが、田舎町にしては人材が多いんですね。レベルが高いというか。…商店街についても「このままではダメだよな」ということで、マルシェをやる時に「街並みを一緒に変えようよ」と提案したんです。最初に「マルシェ1」ができて、同時並行的に「マルシェ2」の開発も進めていたんだけれども、私たちはまちづくりのど素人ですからね。「そんなことやったって、人来るの?」とみんな思ってたんですよ。ところがマルシェ1が実際にオープンしたら、商店街にもどっと人が来て、みんなびっくり。…特に飲食は圧倒的に市外からのお客さんが増えています。というのも、私たちはあえてマルシェ内にレストランを作らなかったからなんです。…雇用も生まれているわけですよね?そうです。実際、地元に残りたいという人も多いんですけれども、これまでは受け皿が少なかった。でも今は、関連する事業全体で150人ぐらいの雇用が生まれています。地元の学生も定期的に雇用していますし、すごく大きな受け皿になっていると思います。…―「フラノマルシェ」の現在の来場者数は?去年は122万人です。初年度の55万人から少しずつ増えてきて、「マルシェ2」ができてから一気に上がりました。122万人というのは、ここは道の駅ではないですけれども、道の駅のランキングに入れると北海道で2位なんです。…ニーズの掘り起こしは、西本さんが担当していらっしゃるんですか?いえ、それはもう、みんなでやるわけですよ。みんなで意見を出しあう会議を毎週やっています。特に富良野は、女性にウケなくちゃいけないところがあるんで、女性の意見を非常に参考にしています。ほんとに平場で、いろんな良いアイディアがぽんと出るような。誰かがそれを取り仕切っているのではなくて、みんなで意見を出し合いましょうという雰囲気を大事にしています。…これまで、街が郊外に向かって拡大していたのは、人口が増えるという前提があったから。その結果、全国にとても使い勝手の悪い街を作っちゃったわけだけれども、これから人口が減っていくとなれば、考え方を変えなくてはいけませんよね。自分たちで歩いて暮らせる街を作らなきゃならない。…ローカルは、誰かが「街のために」って指針を持ってやらないと、本当に街が衰退していきますよね。といっても若い人たちは、まずは自分の生計を立てるのに必死。じゃあ誰が街を変えるんだ?といったら、私たちぐらいのミドル世代だと思うんですよ。責任世代という言い方をしているんですが、会社やまちのトップクラスの人が組織の中でふんぞり返ってる場合じゃなくて、責任世代という自覚を持たないといけないと思うんです。…東京に比べれば経済は豊かでないかもしれないけど、暮らしが満足できていればいいんだとあらためて気付いたんです。実際、魅力のある街のブランドイメージ調査でも、札幌、小樽、函館、富良野は、10年間ずっと常連なんです。理由は何かっていうと、街並みであったり、美味しいものだったり、そこに住んでいる人の人柄だったり、そういう経済以外のところが惹きつける要素になっているんですよね。
(2018年10月15日 グローカルミッションタイムズ)
地方消滅時代
生き残るのは「暴言市長」が話題のあの街か~泉市長は明石市で「ベーシック・サービス」を導入しました。「ベーシック・サービス」とは「ベーシック・インカム」に対抗して出てきた考え方で必要な人に必要なものをわたすサービスです。浸透すれば、ありとあらゆる町に子ども食堂があり、医療も介護も無料で受けられる。一見するといいことずくめに思われますが、極端な選択と集中も必要になる。…興味深いのは明石市では人口が増えていたこと。それも社会増、自然増ともに、です。…子育てに力を入れるために、道路や上下水道などのインフラ整備にかける経費を大幅に削り、子育てに振り分けたそうです。たとえば保育料は2人目から無料など2人以上子どもがいる世帯を手厚くサポートした。全小学校区に子ども食堂をつくり、大学生ボランティアが学習支援なども行う。保育士の給与も大幅に上げたので、近隣から優秀な保育士も集まってくるようになった。さらには行政として離婚後の子ども養育支援にも力を入れているから一人親世帯も留まることができる。その結果、ほかの自治体から明石市に住民が流入してくるようになったから、人口が増えていく。市長は徹底的な集中と選択で、工場誘致やインフラ整備などの公共事業に見切りをつけ、一方で明石市を生活の拠点にしようと考えた。…少子高齢化がさらに深刻になるポスト平成には明石市のようなやり方しかないのかもしれない。中間団体であるコミュニティの再生という点でも面白い。またそれは行政権が圧倒的に優位な地方自治体だからこそ、可能だったのでしょう。(2019/5/12 NEWSポストセブン)